冷静に本質を分類するのが大事なんだなあと思った、全米テニスと無意識とダブルスタンダードの話とか

 最近、なんかもやもやするけど、うまく答えを見いだせないなという出来事を、見事にひも解いてくれて感激した記事があったので、それについてあれこれ書いてみます。

 大坂なおみ選手優勝の影で、日本ではそれほど話題にならなかった、「無意識の性差別」というものについて、です。

全米オープンテニス2018で起こった論争

 大坂なおみ選手が2018年9月の全米オープンテニスで初めて優勝を飾ったことは、日本でも大きな話題になりました。彼女が日本のハーフであることもあり、日本語でハッピーでかわいいコメントを披露してくれたりするキュートな人柄はみんなを魅了。テニスに詳しくないわたしでも好きになってしまった選手です。

 そんな彼女が、憧れの女王セリーナ・ウィリアムズを破っての優勝!

 という快挙であるにもかかわらず、表彰式で感動とは違う、なんだか悲しい涙を流すことになってしまっていたのも記憶に新しいところ。どうしてそうなってしまったの?

 そのストーリーの主人公は、相手のセリーナ選手でした。あまり日本では話題になりませんでしたが、海外では大論争となっていたそうです。

 わたしもニュースで見たりした程度なのですが、流れをまとめると、

セリーナと大坂の決勝戦。

試合中、コーチのジェスチャーを審判が違反と判断し、警告(ここが不当だった気配)。

セリーナが怒ってラケットを叩きつけ、壊す。

そのことに対してペナルティ。

「審判はうそつきだ」等と彼女が強く抗議すると、ワンゲームという重いペナルティが与えられることに。

彼女は審判に「謝って」と、なおも抗議し、予備審判を呼び出す。

試合は、大坂なおみ選手の優勝。

表彰式ではブーイングがおこる(優勝者へ、もしくは審判へ、いろいろな意見を含んでいたらしい)。

「このような終わり方になって残念」と涙する、なおみ選手。

セリーナが「ブーイングはやめて。彼女を祝いましょう」と発言。

……という感じだったようです。

 日本の反応は、なんだか優勝したのに大坂選手かわいそうだね。という感じ。

 まあ、イライラしたのを、セリーナが審判やラケットに当たったりしなければ、ペナルティもとられず、逆転もしたかもしれないのにねえ。なんて思ったりもするわけですが、どうも話はそういうことじゃないようです。

無意識の性差別?

 スポーツでは、白熱するあまり、選手が道具に当たったり、審判に文句をいう場面は結構見たことがあると思います。サッカーでいえばイエロー&レッドカードだったり、野球だと退場!だったり。いずれも、暴言などマナーが悪いことで与えられるものですよね。

 テニスは紳士淑女のスポーツと呼ばれていますから、9項目の「やってはいけないこと」が定められているそうです。

 例えば、ジャッジが気に入らなくて侮辱するとか、試合中にアドバイスをされることもダメだし、暴言やボールやラケットに怒りをぶつけるのも違反です。これらは4回目で失格となり、

警告⇒1ポイントのペナルティ⇒1ゲームのペナルティ⇒失格

の順になっているそう。失格になると、賞金ももらえなかったり、他の種目に出場できなくなるそうです。

海外の反応

 さて、アメリカメディアの論調とセリーナ選手の見解としてはこうだったようです。

「男子選手なら、もっと酷いことを言ってもペナルティを取られないのに、強く抗議したことで1ゲームまで取られるなんて、女子選手への差別ではないのか?」

 つまり、無意識に「女ならもっとおしとやかにしなくちゃだめだ」みたいな規範が存在していて、それに基づいて審判(男性)はジャッジを下していて。しかも、審判自身、そうした意識があることに気づいていない。ということのようです。もっと言うと、「女性に暴言を吐かれるのは許せない(男性に言われるのと違って)と捉える無意識が世の中にある」ここに、セレーナは抗議をしたのです。

 なんのこっちゃと思う人も、中にはいるかもしれませんが、これ、世の中にけっこうあることだと思うんです。

 記事によると、例えば、男性リーダーが堂々としている姿は、「頼りがいがある」と言われる。プラスの評価ですね。

 けれども、同じことを女性がやった場合、なぜか「威張っている」と捉えられやすい。これはマイナスの評価でしかないですよね。

 同じことをしているはずなのに、なぜその差がでるの?それは、性別によって、無意識にこうであるべきという、偏見があるからではないか、ということなのです。

不当さとフェミニズム

 昔からの慣習で、強い男、傍らに美しい(おとなしく従う)女という構図がなんとなく頭に、社会に、あるということでしょうか。それは、長らくそれが当たり前であるという環境だったため、男女両方に刷り込まれているといえるのでは。

 例えばひどいセクハラ、時にレイプ、を訴えても、特に社会的地位がある男性が相手の場合、なぜか女性がバッシングを受けます。言いがかりだとか、誘ったんだろうとか、売名行為だとか。彼女が「ひどい目にあったのだ」と言っているにもかかわらず。

 それを恐れて声をあげられない女性もいるでしょう。さらに言えば、「わたしが黙っていれば、場は丸くおさまるのだ」という、諦めにも似た気持ち。闘う事にはパワーが必要だし、これ以上傷つきたくないから、声をあげること自体、選択肢に入れられないからです。

 周りも、彼がやるわけがないとか、そうであってほしくないという願望、さらには「女性ならそういう手も使うこともあるだろう」という誤った偏見を、どこかで持っているからでは?

 逆に、男性が女上司にこんなことをされたと訴えた場合はどうでしょうか?

 男のくせに頼りない奴だなあとか、力でどうにかしろよ、とか、それってラッキーだったのでは??など、みじんも思わないと言えるでしょうか?

 さらに言えば、男性がかなり体格差のある男性からされた、という場合はどうでしょう?

 いずれにしても、された側は、恥ずかしかったり、心ない返答に傷つくはずですが、こういった無意識のイメージの問題で、周りに無視されてしまうのです。忘れればいいじゃない、とか、あなたにも落ち度があるんじゃない?というように。これが別の被害――窃盗や傷害などの時には、被害者には決して問われない質問なのにです。

 こういった問題にもNOをつきつけるのが、女性解放の思想「フェミニズム」。男性だけが中心の社会でいいのだろうかという、男女平等、同権を求める視点ですね。

 かつては閉ざされていた女性の参政権の獲得は、この運動をした女性たちによって実現されたんですよね。もっと身近に言うと、女性側から離婚訴訟ができるようになったことや、職業名が看護婦から看護師に変わったことなどもその一例らしいです。

 そして現在も、賃金の格差や、夫婦別姓、子育てや介護など役割分担の押し付けへの開放、海外においては中絶などの出産の自己決定についてと、問題は多岐にわたります。

 この間広く一般に発覚した、医学部を受験する女子合格者数の秘密裏の制限(=男子の優遇)も対象になりますよね。

フェミニズムは全ジェンダーの生きやすさへ

 一時期、あまりに強硬な意見や、男性自体を毛嫌いするという一派もあったので、フェミニストにヒステリックなイメージを持つ方もいるかもしれません。でも、本当は違うんですよ。

 フェミニズムはいまやたおやかに進化しており、単に女性だけのものはでなく、どんな性別であれ、少数派や弱い人、病気やけがをした人など、すべての人がよりよく暮らせるにはどうしたらいいか、ということが論点に。

 「ジェンダーそのものが、社会etc的理由で、不平等に構築されているのではないか?」という観点からも社会を考えるようになったようです。LGBTをはじめ。

 それは結果的に、男性にも恵みをもたらすものだったりします。男なんだからこうしなさいと言われ強制されてきたことが、そうでなくてもいいと許容される。女性が求めてきたことと同じように。どんな性別であれ、自分らしくいられるのは何か、という視点で生きていいことにしようよ、そのために慣習を変えようよ、という考え方になってきたようです。

 ちなみに、最近フェミニストとして有名なのは、映画『ハリー・ポッター』シリーズでハーマイオニーを演じたエマ・ワトソンみたいですよ。ドラマ好きとしては、『シャーロック』のベネディクトさんもそうだったはず(ますます素敵だ!)。

 ビヨンセも、女性の地位向上のためのライブを行ったりしていて、働くこと、自立することが女性の自由への第一歩であり、とても大切だというメッセージを送っていました。

 そのステージ、めっちゃかっこいいポージングで堂々登場し、「レディース!稼いでるー?」って呼びかけてから歌い始めたのが、女性の”成功者”ビヨンセとしての輝きとダブって、すっごいかっこよかったのを覚えています。

 もし、小さな女の子たちに見せたら、キラキラした、美しい、かつ賢く強い大人の女性像に憧れて成長してくれるんじゃないかなあ。夢を持って、しっかりと人生を生きてく、ロールモデルになってくれてると思いました。

 日本の新聞においては、英語の訳し方の問題もあったようで、

セリーナ選手がとても強い口調⇒口汚く罵倒

悲しみやシンパシーの意味のなおみ選手の「sorry」⇒「勝ってごめんなさい」

と意訳?誤訳?されていたりして、どうもニュアンスが伝わっていなかったこともあったりして。大坂選手の優勝が話題になる一方、「うーん、なんかセリーナが怒って当たったから、ペナルティ取られたんだね」程度の認識のようで、たいして注目されなかったようです。

 ですが「こうあるべきという無意識の差別」が存在すること(それによって大きな大会の優勝すらも左右されている)が世界では大きな論争になったようです。

 大坂選手は真の実力で誠実に試合をしただけなので、なんだかとばっちりをうけた形ですが、それでもセリーナへのリスペクトは変わらないようで。このへんにもまた、きゅんとしてしまうのですが。

 そしてこの記事の著者は、「セリーナの態度を評価しているわけではない」。ここがポイントでした。

元女王の視点、カッコいい

 彼女が挙げたのは、こういう視点です。

「男ならやってもいいという、ダブルスタンダードが存在するのは事実だが、女性も同じ事をして、同じように許されるべきだという考えは賢くない」

と元女王・ナブラチロワが言った事に共感するというのです。

○セリーナがダブルスタンダードに抗議したことは「意味がある」こと。

○だから男と同じように許されるべきよという主張は、「ちょっと待って」ということ。

 そうか、ここは正しいと思うけど、ここはちょっと違うんじゃない?ということが混じっていることが、わたしのもやもやの原因だったんだなあ、と思いました。

 おそらく、目指すべき方向は……、男であれ女であれ、品位が欠けた行動であれば、ペナルティを課すのが当たり前。男子の違反を見逃すべきではないし、女子がそれに倣って行動していいわけでもない。そもそもセリーナは「これでは公正ではない」という怒りを示しただけだったはず。審判も、重いペナルティを課すなら、もうすこし、彼女の意見に耳をかたむけるべきだったのでは?

 そのためには、「無意識の差別」をまず意識しなければいけないでしょう。そういう意味で、セリーナのした行動には意味がある。

ということになるのかなあと思います。

 つまり、冒頭でセリーナがちょっと我慢すればよかったのでは……というわたしの印象は、なんと「女だから我慢すればいいのに……」ということと同義になってしまう。しかしそんなことはわたしは望んでいなかったりするのです。

 ここがもやもやの原因だったんだなあと。

(そして、大坂選手には落ち度はひとつもないのに、泣かせちゃうという事になった表彰式にも、もやもやした原因の一つですが。)

 セリーナ、審判、共に正しいことと間違っていそうに思われる事が混在していることで、一方だけが悪いといえる簡単な状態じゃなかったんですね。審判にしたら、態度悪くてペナルティを課すこと自体は、「ごく普通の正しい行為」なのですから……。

 セリーナがペナルティを受ける行動をとったことは事実ですが、その課され方はダブルスタンダードが疑われ、我慢すればよかったのでは、なんてわたしが思うのはお門違いもはなはだしい事だったということです。

 同じ女であるというにもかかわらず、そこを気づけなかったわたし。お恥ずかしい。

新しい提案は理解と浸透に時間がかかるものではあるけれど……。

 記事が伝えるのも、もし、セレーナの主張をまるまる支持するとしたら、それは、男性の物差しが世の中のスタンダードだと認める事と同じ。彼らと同じように、女性にもみんなにも暴力的で高慢な態度が許されるということになってしまえば、それは将来の社会のためになるとはとても言えないのではないか、それはフェミニズムの目指す方向ではないでしょう?ということでした。

 すごく、しっくりくる指摘だなあ、と思ったのです。

複雑な物事をみつめる方法

 今回学んだことは、こうやって、なにか論争が起きたり、新しい考えが生まれるような事柄は、一度冷静になって分析することが大事なんだなあと。

 「ここは理解できる」、「ここは違うと思う」、「ここは新しい分野だから少し時間が必要だな」、という風に分解できれば、自分の好みや、どうしたいか、もしくは世間がどういう方向に行きたいと思っている世の中なのかが理解でき、説明や判断がしやすくなるんだなあということ。

 まあ、うまくそれができるかどうか。練習も必要だと思いますが。複雑な物事を見つめるときの、ひとつの方法になるなと思ったのでした。

 以上が、ELLEオンラインの記事をきっかけに、いろいろと思ったことです。

気づくのって難しい

 ついでに。こういう意識って、頭ではわかったつもりでも、実は気づくのが難しいことでもあると思うんですがどうでしょうか。

 例えば、ある友人とけんかになっちゃったことがあって。彼女から、「かつてのあれ、マジで頭に来た!」と言われたことがありました。

 彼女は普段から、自虐で笑いをとるようなところがあり、また、価値観もわたしとはかなり違うところが多々ありました。なので、最近はセクハラにも当たるだろうなということも、頭によぎったのですが、彼女のキャラなら冗談として受け止めるだろうなと、そういうつもりで言った結婚に関する一言でした。

 しかし、予想は見事に外れ。彼女あんな感じにふるまっていたけど、本心では冗談で済ませたくなかったのだな……と知った一瞬でした。

 これは読み間違ったなあと思ったし、同性だっていうのにわたしは何をしたんだ?しかも、わたしが同じことされたらいやだとは思っていたけど、その感じ方が彼女は違うようだと思い込んだうえに、わたしが言わなくても、世間(とくに高齢世代から)では普通に言うことだろうなと考えてから言ってたなと、大いに反省したわけです。

 一方で、逆の立場に置かれた場合、ほんとに嫌な事なら、表明しないと伝わらないってことでもあるんだなあと思ったのでした。

 昔セクハラがまかり通っていたのは、フェミニズムの意識がなかったことに加えて、あまりにも数が多すぎていちいち反応していられないとか、受け流すほうが状況が簡単だとかいう理由があって。でも「本当は嫌だった」ことは、昔も今も変わらないということですよね。(スポーツにおける体罰も、似たタイプの問題だと思います。)

 かつては、それを我慢しなければならないことだと思い込んでいたりした。それなのに、というか、そのために、相手方には正しく伝わる機会もなく、「まるで女性がそれを許してしまったかのような状況」を保ってしまった結果、いつまでも女性の不利は続くということでもあったのだろうなと。

 今はいろいろな意識も高まってきて、ようやく本心を告げて改善要求することも多少できるようになってきたところだと思います。過剰さと許容のバランスの難しいところでもありますが。

 そして世界には、わたしのような「バカもの」もいて、訂正してくれることで、ハッとなる人もいるから、ぜひ、ほんとのところは表明してもらいたいなあ。なんて思うのは甘えでしょうか……。

 とか言いつつ、

 年上の異性の親戚に「はやめに子供作っちゃえば」と言われたとき。一瞬、呆れてぽかーんとしたんです。今の時代にそれ言っちゃう?と。

 個人的に介入してほしくないプライベートなことだと思ったし、それ職場で言ったらセクハラで訴えられても知りませんよとも思ったけど、ここは大都会でもないし、昔は普通の何気ない言動だったんだろうなあとも思ったりして。結局は指摘せず、適当に受け流してしまったのでした。

 そういうときに”セリーナの抗議の強さ”は、すごく必要で、今後のためにすごくありがたいことでもあるなあとも思います。が、今この場で論争になるのもどうか、というとき、みんなはどうするんだろう?

ダブルスタンダード

 ……。

 あっ!これが使えるのかな?

 小島慶子さんが、子供への性教育についての時に言ってたこと。

 ネットが発達した現在は、子供を守るという点からも、海外のようにきちんと教えることが大切なのではという特集があって(進歩的ですね。)

 で、生物として、人がどのように妊娠して出産するかをひととおり説明したあと、お子さんたちに、「ママたちも、今そうしてるの?」って聞かれたそうです。その時の答え。

「そんなプライベートなことは言いたくありません。」

なるほど!立場を表明すればいんだわ!と。――強い!(笑)。

 でも、ビヨンセだったら、腰に手をあてて言ってもかっこいいけど、日本で和を乱したくないという下心(?)もある場合は?

⇒それをやんわりしたげればいいのかも!

「言いたくありませ~ん☆」て明るくおどけるとか、

「プライベートは、任しておいてくださいっ!」って、胸を叩いて席も立つとか?

「それ、会社では言っちゃだめですよ☆」とか?

 ここだけ切り取ると、

……ああ、なんてやさしいんだ世の女性たちは。こんなこと考えてるなんて(苦笑)。

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