「仕事で流産」から考える、日本には本当の「公共」がないってどういうこと?

 当事者世代なので、女性の出産や少子化にまつわる問題には興味があって、記事などをよく見るのですが、そのたびに、今の日本て、人間を大事にしない社会になってない?と思う事があるんです。

本来「公共」というものは、生活の大切なカギらしい。

 で、それはどうしてなのかしらんと考えていくと、女性ならではの遠慮があったり、一億総中流社会が終わった?社会で、もしかしたら新しい(もしくは気づいてない)概念があるのかな?と思ったので調べてみました。

働きすぎて流産してしまう女性たち

 少子化問題を解決するには、女性たちが子供を産むこともひとつの方法ですよね。

 まあ、あまり現実的ではないけれど……、一組のカップルから二人以上生まれたとき、(親は二人ですから)ようやく少子化に歯止めがかかるようですが、現在の出生率は1.43。

 でも、せっかく将来の日本を支える子供を授かっても、仕事が激務のあまり流産してしまった女性たちの記事を読んだことがありますか?

「中小企業で自分がやらなければ仕事がまわらず、休日でも立ちっぱなしの編集職に限界があると上司にかけ合うも、「君しかいない」と対策をとってはもらえず、休めたとしてもその分仕事が溜まって結局どうにもならず、死産してしまった。」

とか、

「介護職で出勤後、妊婦の異変である出血に気付き早退しようとしたが、「利用者さんの入浴は中止にしなければならない」と言われ、痛みにも我慢して仕事を終えた後に大量出血。小さな命を失った。」

 産婦人科も、終了間際の午後7時の電話は急を要する訴えばかりで、いずれも女性たちが自分の仕事を終えたあとに、ようやくかけてくるという事が多いらしい。

 本来ならば、異常があった時点で我慢せず病院を受診するのが理想ですが、それができなかったため、そのまま入院、とかそのまま流産という事も多いのだそう。

 そして、妊娠中の女性は仕事量を7~8割に抑えること、疲労や強いストレスを感じると流産の原因になること、そして、日本の労働基準法では、妊婦の申し出があれば残業禁止にできることが記事には書かれてますが、それを知っている一般人や経営者はどれだけいるでしょうか?

 ちなみにEUでは、申し出なくても残業禁止、そのために減った給料を補填するシステムもあるそうです(税金は高そうなイメージがありますが、どうなのかな?)。

子供か仕事の二者択一?

 さて、この問題に対してたくさんのコメントが寄せられており、

 人手不足のため、「わたしもそうだった」、「職場の人がそうなってしまった」、という中に、「流産によって退職をした」とか、「この労働環境では決して産めないだろうと判断し、退職した」とか、「休みがちだとクビになった」(!)という投稿までありました。

 今の日本の社会は、女性活躍を叫びながら、せっかくの命を失う激務や、それ故に仕事まで失わせる、という状況になっているということですよね。(もちろん、「生きている命」ですから、妊娠すれば誰もが必ず順調に産める、というわけではないんだけれど。)

 妊娠期間は十月十日、子供の手を少し離せるのが3歳としましょう。

 28歳で出産、65歳まで働くとすれば、37年は働き手でいてくれるでしょう。こどもの成長が安定するのが3~6歳として、その間早退や休みが多かったとしても、その後31年間はけっこう有力に働いてくれるはずです。(会社が存続するかはあれだけど、「再就職できれば」納税はできるから社会に利益は出るはず)。

 親の介護で離職するとしても、24年くらいは働けるかなと考えると、会社がその中のたった3~6年を投資として待てずに退職させてしまうほうが、長い目で見たら損なのではと思うのですが……。

 人手不足だからだと、子供が欲しくても「妊娠は先輩から順番制に」という保育園まであるというじゃないですか。

 状況として仕方がない面はあるとはいえども、これこそ、「みんな」が「女性を産む機械」としか捉えていないと思える事態です。そもそも、そんな思い通りに妊娠できたら、中絶もないし、授かり婚もなく、不妊治療もないでしょう。現状はどうでしょうか。

 「人手不足らしいから、30を過ぎて保育士になって力になろう」という人がいたとしても、おそらく先輩は20代になるわけですから、順番などと悠長なことを言っていたら、妊娠できなくなってしまいます。また、年齢が上がるほど流産の確率自体が9%(20代)~50%(40代以上)に上がるのです。

 「健康な妊娠に適した時期」というものはたしかにあり、しかも個体差のある体を持つ、「命ある人間という存在」であることを忘れ、ないがしろにする社会でいいのでしょうか?

(さらに収入も、とても期待できない状態になってしまっている点も忘れてはいけません。)

 女性が、発言力を磨くべき時

 さて、コメントの中にこんなものがありました。

「その会社もひどいと思うが、だったら辞めるべきだったのではないか、もっと母親として自覚を持つべきだ」「子供より、仕事を優先してるんでしょ?」

というもの。

 たしかに「正論」ではあるけれど。

 はたして、そういう会社のあるままでいいのかなあ?とか思うのですが。

 働かないと、生活ができなくなる、という時代でもあります。こんなの、女性が活躍できる社会になんてほど遠くないですか?楽しく人生を生きるという点からも、遠ざかっているように思います。

 そして、それに対抗する手段である「意見を言う力」を、女性たちは(というか日本人全体も)身に着けてこられる社会だったかなあ?とかも思うのです。

 つまり、「女は一歩下がって」の時代がまだ影を落としていて、自分に正当性があってもそれを貫くガッツ?を育てる教育・社会じゃなかったってこともないんだろうか?ということなんです。男性が風邪でつらい時休めるかとか、希望した休みをとりやすいか、という事にもかかわってくることです。

 彼女たちが出来なかったのは、前述の介護職の女性なら、「職場に申し訳ない、お風呂を楽しみにしている利用者さんに申し訳ない」という点から無理をしてしまっているし、編集職の女性も「わたししかできないという責任感」から、本来は自分にとって大切な行動をとれなかったという点にあると思うのです。

 そのための突破口が、「訴えてもダメなら退職しかない」って、絶望的じゃありませんかね?

 彼女たちがそうした行動をとったのは、女性ならではの調和力「相手を思いやる気持ち」から出ているのです。それなのに、「そうなったのは自己責任ですよね」みたいなコメントをするって、いったいどんな社会なんだろうと思うわけです。つまりみんなで自分勝手になって自分の事だけを優先すればいいってことなの?

 たぶん、そうじゃなくて。今の社会おかしいよね、っていう話から、どうにかできないのかなあっていうアイディア出しと共に、もうひとつ、交渉する力とか、自分発信を強くする力を鍛える、子供のころから作っておく、ってことも必要なんじゃないかなと思ったりして。

 わたしたちの母親以上の世代は、女は家庭、もしくは寿退社が普通で家庭に入ったわけですから、出産や育児に関しては自分のペースでコントロールできたでしょう。2世代同居だったり、近所付き合いが濃いなど身近なところから「休みなさい」とアドバイスを受けることもできたと思われます。

 それが核家族化によって失われ、しかも「女性が働き続ける」という新しいステージに突入したことで、周りに先輩アドバイザーが存在しない。出産のない男性上司ではそもそもの話が通じない、予備知識もない、という不利益をこうむっているタイミングだと思うのです。

女性も一枚岩ではない?

 さらに面倒なのが、当事者の女性でさえ一枚岩ではないという現状です。

 まず、職場で誰かが休むと、それをカバーしなければなりません。そのしわ寄せをくらった女性たちに不満が溜まります。本来その矛先は、「人員確保などをしない会社」に向かなければならないはずなのですが、その矢印は今のところ妊婦側に向いてしまいます。

 また、出産経験のある大先輩も、意外に頼りにならないのです。

「わたしたちの時はこうだった、ギリギリまで働いたのよ」のような武勇伝が、現在の妊婦さんたちには当てはまらないのですが、年上の女性たちから言われてしまうと反抗できないのです(気の強い女性ならできるかもしれませんが)。

 また、独身の大先輩の中には、時代背景的に、子供をあきらめて仕事を続けたというような方もおり、現在仕事も家庭も叶う状況にある後輩に対し、内心複雑な思いを抱くこともあるようです。

 このように、同性であってもさまざまな感情があるため、妊婦さん側に立ってもらえず、おそらくそれがマタハラの一因になっていることもあるでしょう。

 このことは、人々の意識を変えていかなくては解決が難しい問題のように思います。

みんな知識が足りないのかも

 もうひとつ変えなければならないのが、男性上司たちの意識です。例え子供がいても、奥さんに家庭を任せてきた古い世代には、「そもそもの知識」がありません。

 妊娠は病気ではないけれど、通常時とはあきらかに違う状態で、それに合わせたケアが必要な時期。にもかかわらず「うちは理解があるからね、応援しているからどんどん働いて」など、妊婦は「今、身体を休ませたい」と思っているのにトンチンカンなことを言ったり。

 これはその後、子供が免疫を獲得していくために大切な、外や幼稚園でしょっちゅう風邪やらはしかやらをもらってきて熱を出す(ため、母親が休みがちになる)時期に「なんでそんな何度も熱出す?ちゃんとサプリ飲ませとけ」なんて言う、愚か者上司などを産みます。

 人がいなくて困る会社の言い分もあるにせよ、人間というものについて、無知すぎではないでしょうか。

 妊婦さん自身も、このくらいなら大丈夫かな、と思って働いた結果、思った以上に体に負荷をかけていたことに、異常があってから気づく、ということもあるんですね。

話し合える場はどこに?

 で、こういったこと、みんながそのままじゃよくないなあと思っている事、どうやったらよくすることができるかなと考えると、社会状況とかいろんなことがあるわけですが、「それを話し合える場」がないなあと。

 各会社に意識や余裕があるかどうかに左右されて、取り組むところはやっているけど、そうでないところはそのまんまだろうと。で、それを動かすのが法律とかになって、そうなると組合?とか団体?とか政治?とかの方向になっていく気がするんですが。そこで思った事。

 日本で、海外ほど、一般人の政治活動やデモが身近じゃないのはどうしてなんだろう?と。なんかやってる人は、珍しいか、ちょっとヤバい人?なイメージがあるのはなぜかなと。

そもそも日本には、「公共」がない!?

 ここで、外国と比べた場合の日本のスタイルについて、着目してみようと思います。

 「公私混同」という言葉がありますよね。よく、政治家や会社の上司など、力のある側の立場の人の行う公私混同が問題になったり。

 この「公私」のほかに、海外には「公共」つまり「パブリック」というものが存在するらしいのです。 

 えっ?「公」が「公共」ってことなんじゃないの?って思う方、多いと思います。

公=公共=パブリックで、同じことなんじゃないの?と。

 ところが、違うようなんです。

 公共=パブリックというのは、英語の訳なんだそうです。

 訳すというのは、ある言語を別の言語に変換して読めるようにすることですよね。そして、言語と文化は切り離せないものでもあります。「その習慣なり考え」がそもそもない国では、ある言葉をそっくりそのまま訳すことが出来ないということもあります。

 だから新た造語にしたりして、なんとか通じるようにするわけです。(夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月がきれいですね」と意訳したという有名な逸話も、その一例になるかと。「もったいない」がそのまま「MOTTAINAI」とかも。)

 で、漢字が似ているので余計こんがらがりそうですが、外国では社会というものは3つで構成されていて、公と公共と私があると。日本的にするなら、

公=お上、殿様

公共=パブリック

私=庶民

ということで、すこし分かりやすくなったでしょうか?

 日本の場合、お上のおふれは絶対的なトップダウン型で「公と私」しかない。

 しかし、「公共」がある海外では、「私」が話し合う場、があるんだというんですね。

オランダでの「公共」というのは

 オランダを例にとると、この国は、干拓地といって、堤防で水を締め出して排水することでできた土地なんだそうです。

 でも、よく氾濫する川にかこまれ、しょっちゅう洪水に悩まされた国なんだそうです。チューリップと風車の風景が代表的なイメージかと思いますが、その風車は、治水のために使っていたものなんだとか。もともとは。

 その堤防は一か所壊れたら大変なことにになるので、それぞれ市民が、暮らしを守るために「自ら」堤防を監視して生活。堤防の前ではみんな平等だったそう。

 その中で、次の治水はどういうやり方をするかと、ああだこうだと話し合って決めなければいけなかった。それも、水があふれる前に合意しなければいけない、というリミットも。

 つまり、「みんなの利益になること」を「みんなで考えて」助け合っていこうというスタイルが生まれ、その話し合う場が「公共圏」なんだそうです。

 お上が「やれー!」って言って従うのとは違うやり方ですよね。公共圏での合意が「公共益」で、「その合意を実行するのが、政府」なんだそうです。

 そして日本では。、時代が下り、殿様やお上にとってかわって、政府が公となっています。

公=政府

 で、明治時代に、政府は外国に追いつくためにもと、自分たちの利益を追求するよう「公共」を「乗っ取って」しまったのだとか。

なので日本では、

公と公共=政府(がすべて決める)

私=庶民(が従う)

((公共)=(「私」が考えて決める「公共」自体がない。))

 このように、そもそも日本には、「公共」のやり方、「パブリック」がなく、その概念が教えられてもいない。だから「公私」という二文字の言葉しかないと。ふむふむ。

 だから、中東で拘束されたジャーナリストのY氏についても、「国=公」と「私」たちに迷惑をかけた、という考えにしかならず、公共の……つまり、人類にとって「公共益」になるであろう側面を理解しづらくて、批判しか起きない。だから外国からすると、どうにも日本は理解ができない国だと思う、ということらしいのです。ほほう。

 なんとなく、福祉とか、有名人が寄付とかすると、なぜか「売名」って言われちゃうのも、この辺が関係する気がします。

 社会の困っている人にとって利益になることをするのは、「直接の今のわたし」の利益ではないかもしれないけれど、治安の維持とかにもつながるだろうし、万一自分がそうなる事態に陥った時には、とても助けになることなはず。めぐりめぐってみんなの利益になるはずなんだけれど、その意識が低いみたい。

姥捨て山にみる日本

 これは想像ですが、これは日本人の潔いことをよしとする感覚にもつながるかと思っていて。

 例えば昔話で「姥捨て山」っていうのがありますよね。食糧難のため、家族が生き延びるには「食べる口を減らす」しかなく、老いた人を山に捨てなければならない状況があった時の話です。

「口減らしのおふれにより、老いた母を山に連れていったものの、とても捨てることなどできず、こっそりかくまっていて、同じ時、殿様が隣国から出された難題に困っていると、老女の知恵がそれを解決に導き、最後はそれに殿様が感謝して、老人を大切にするようになった」という昔話があります。

 一部地域の話なのかもしれませんが、すくなくとも、捨てられる側としては、「みんなのためには仕方のない事」として「潔く」受け入れるのが子供のため、と考えたかもしれません。

 また、詳しくはないんですが、戦時中の特攻隊もそうですよね。お国のためにと自ら潔く突っ込んでいく。(負けが確定していても、トップは特攻するよう指揮を続けたらしい。)ひめゆりの塔の乙女たちも、敵にひどいことをされるくらいならと、集団で自決してしまったのですよね。(しかし、実際は戦争に負けても、日本はそんなひどいことにはならなかった。アメリカはそんなに人でなしではなかった。)

 武士の切腹とか、桜の散るはかなさに心奪われるとか、文化?風土?として、自らが「抗ってどうにかする」、というよりは、「現状を受け入れて犠牲になる人がいて、それを目にした人々が、どうにかやめようよとなる」気がします。

 だから、トップが間違った時は、もはや方向転換できない。逆にアメリカとかは、基本的に「なんとしても生き残れ!」という風に、一人間を大切にしているように見えます。

 さらに、地理的に地続き他国がないこと、基本的に単一の民族であることにより、全く異なる異国人と話しあう経験が少なく、みんな同一であることが求められる村社会であること。

 だから、同調圧力と本音と建て前があり、「本音はわざわざ言わなくても気持ちはわかる」から、気持ちを主張する必要が他国ほどなく、よく「気持ちを読んでくれる」トップは名君とうたわれる――みたいなところがお国柄としてあるのかなーなんて思ったりして。

 でも、海外とのお付き合いでは、本音は言わないと伝わらないし、そもそも発言しない人は何も考えていない人として軽んじられてしまうのだそう。日本では、寡黙な人はここぞというときに発言したりして、逆にかっこよかったりしませんか?ぺらぺら喋る人の方が、口先だけとして、信用おけないイメージがあったりして。

自らがやるということ

 といった流れを踏まえると、少なくとも欧米の様な選挙制度をまんべんなく利用できているかというと、そうではない気がします。

 身近なところでは、学校においても、アメリカでは父兄がこういう学校をつくりたい、として教師を雇う。大学も、生徒たちがこういうことを学びたいとして、教授を雇う、というふうに、市民が自ら作るスタイルみたいです。

 日本だと、学校も、基本国が作ったものに市民が「従う」ので、ある意味教育を丸投げすることもできちゃうと。だから家庭でしつけて、いや、学校でやってと押し付け合うことになってしまう。

 もし、人々自らが中心で造っていたとしたら、もはや迷惑と父兄から疎まれているPTA活動とか、いじめに関する対応も、即「ベルマーク貼りなんていらないよね?」とか、「いじめ認知しないなんてありえないよね」とか、問題発覚から解決までが、かなりスピーディーに(人手と頭脳があれば)改善できると思うのですが。

 とはいえ、「放っておいても、そこそこどうにかなっている」のがある意味日本のすごいところです。「誰に投票しても同じ」レベルで国が運営されていく(?)って、それはそれですごい(笑)。でも、今後はそれでいのかな?って思いますけれど。

もっと簡単にできる方法はないの?

 選挙の投票年齢が18歳からになりましたよね。せっかく若い人が投票できる権利を持っても、それをちゃんと生かせるシステムや、そもそも行使できる「考え方」が、日本全体にあるのかなあっていうのがわたしの疑問です。

 選挙制度は、日本だと英国の二院制をモデルに取り入れたものですよね。

 そして、英国の人は、やはり日本より自分の意見を主張することが普通の文化で、なおかつ、貴族っていう絶対的な権威のある階級制度があったり、一応、かつては貴族が庶民の支持を受けるためにも、暮らしの援助や福祉をする役目があった国みたいですよね。

 アメリカにしても、自己主張がなにより大切で、子供のころからスピーチしたり、自分で調べて発表することが授業の一部らしいです。どう発信するか、どう話し合うかが基本のような。

 でも、日本はまた別の文化が営まれてきた国。福祉も家族単位で行われ、「臭い物には蓋」っていう言葉もあり、「ある一定の基準にある人」以外は、排除されて成り立つような形があったようにも思います。障がい者は障がい者施設、老人は老人ホーム。

 だから、始めに戻ると、「妊婦は妊婦でなんとかやってくれ、会社はそんな暇はない」、と区分けし、「公共の利益をうむ」将来働き手になる子供をどう育むかを考える「に至らず」、「長い目でみたら損」とか思えないことを改善できないという事態になっているんじゃないかとも思います。そして、それを知りつつもやもやするけど、具体的に何かはできないわたしたち。

新しい扉を開くには

 そこで、改善するには声をあげて権威に「汲み取ってもらう」もとい「汲み取らせ」なきゃならないのですが、デモなんて日本人には敷居が高すぎますよね。けれど「困ったこと」はある。

 解決するよい例が、SNSで「保育園落ちた日本死ね」だったと思います。あれにより、国が動きました。マスコミが報じて、「女性議員」が取り上げて、必要性が認知されたことが発端でした。(すべて解決されたわけじゃないけど、改善しようとはしています。)

 つまり、発端は「おじさん議員」ではなかったし、安倍総理も、これがあるまでは、子育て関連の問題にあまり興味がなかったように見えます。つまり、男性の立場では他人事だから、重要性がわからず動かないわけです。

 やはり、性別なり立場なりが違う場合、「発信」しなければ、問題解決の日の目はみないわけですよね。日本の教育は「個人の発信」は弱かったから、今はちょっと変えようとしているところだと思います。大学受験のセンターもマーク方式ではなく、記述式になるとかも、採点は大変そうだけどいい事なのではと思います。

 そして、政治のやり方はどうなるのかなあと思っていて。

 生活に直結することも行っているんだから、気軽に要望できる場がネットとかであってもいいのではと思うんですが。つまり、「日本における公共、しかも気軽に」の場が。

 核家族化する前は、おじいちゃんおばあちゃんが農家で、支持基盤だからって、地元にやってきた議員と接触できたり(お祭りとか、たぶん町内会とか組合の集まりとかで)、話題になったり、「縁」があるから要望を伝えたりすることもできたんだと思います。だから、数もつながりも老人のが強い!

 でも今って、大人になった時、都会の会社に政治家はまず来ないし、町内会も、独り者と共働きが増えて仕事だから参加しないし、普通の人が、まず実際政治家に会う機会なんてないと思います。

 だから社会問題は、それぞれの問題が起きているところが個別に対応改善をするのと、マスコミが疑問を呈することで周知して、その反応が世論で、そこから上が動く「ことがある」くらいなんじゃないでしょうか。個人が訴えて裁判で動かす……って数は欧米とは比べ物にならないと思うし。

要望書き込み&議論サイトとかどう?

 なので、声を拾ってもらう「場」として、匿名で政党に関係なく気軽に書き込めるとこがあれば、自然に投稿者たちが意見をまとめて、「こんなのやったらいいのにね」が政治家に伝わりやすくなり、ただ出世したいだけの議員がいたとしても(笑)、どうすれば得票できるかがわかるから動く、結果公共の利益になる、ってことにならないかなー?

 問題案件を「密室でやってて、改善実行までの過程がわからない」から、みんな興味わかない気がするんですけれど。

 そうすれば、選挙の立候補者の公約も、今それ……必要ですかね?みたいな、ちょっとよくわからない意味なさそうなものを掲げるより、みんながこれやってほしいよねって思っているのを取り上げる率も高くなって、より身近になっていくようにも思うんですが。

 というわけで、

○自分の意見を発信できる力、聞く力を身につけて、「話し合いができる力」をつけること。

○「公共の利益」というものについて、理解を深める事。

○「気軽に」問題を政治家に届けられる「場をつくる」こと。

(○その「場」の意見をまとめる役がボランティアでもいいからあること。各政党にあがった声一覧を郵送してあげてもいいかも。)

 が、これからは必要になるんじゃないかなあと思うのですが、どうでしょうか?

妄想アイディア

 以下、わたしが思う、簡単に公共の利益を出せるように参加するための一つの考えです。

・WEB上で困りごとの声を言う場、改善アイディアを書き込めるサイトを作る。

・建設的であること、誹謗中傷は控えることが条件。でも基本自由。

・一律に政治家の公約を紹介。

・各議員の活動の達成率を独自に表記。なんで実現できなかったかがわかれば、対策も見えてくるし、投稿者が協力できることもあるかも。

・ITにうとい老議員については、若者がレンタルサポートしてあげるシステム(ボランティアかバイト)も用意してみたりして。

・いいね!みたいに、投稿者の持つ「ポイント」がその政治家の成績を表し、忙しい人の投票の目安にできるかも?

・そのサイトの信憑性などを、大手メディアが取材して調べることで、市民に情報提供。(ネットにうとい議員側も、知る機会がつくれるかも。)

・クラウドファンディングの公共版とか、「議員の公約実行のため」の気軽な少額個人献金とかもあり……?

 そうすれば、今とは逆に「おじいちゃん、よかったら○○に投票して!」と「ひ孫」が言う時代がくるかも!?

 法律とかわからないので、可能かどうかわかりませんが(笑)。実際に行くとか動くとかが難しくても、気軽に参加して、なんとなく自分も関わってるな、って思えて楽しいかも。

 日本には、健康保険とか、独自にすばらしい制度もあるんですから、新しい日本のスタイルができていったらいいのになあ、とか思ったりしているのでした。

 とにかく、どんな時もできるだけ「人」が大切にされる社会だったらいいなあ。

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